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OKAYAMA REKITABI

STORY

01

岡山に今も残る「岡山城下町」の歴史。
今日の岡山が発展したのは宇喜多直家公の先見の明のおかげ!?
当時、最先端の城下町ができるまで。

岡山といえば、岡山城。宇喜多直家、宇喜多秀家、小早川秀秋、池田光政、池田綱政と、岡山ではよく知られている人も城主だった城です。特に天守(天守閣)はイケメン武将と名高い宇喜多秀家(うきた ひでいえ)が築いています。

キジ

宇喜多秀家は当時ではかなりのイケメンで、あの豊臣秀吉が目をかけていたそうだよ。なんと、豊臣秀吉を支えた有力大名「五大老(ごたいろう)」に最年少で就任した一人として有名なんだ。しかも当時としては、かなり長身だったとの説も

サル

いつの時代もイケメンはちやほやされてええのぉ~~

イヌ

僕も、秀吉に仕えたいワン!

今でこそ、岡山城周辺は岡山の中心部ですが、元々は田舎
宇喜多秀家の父・直家(なおいえ)の代から宇喜多家は城下町を着々と形成し、田舎から当時では最先端の城下町を築きあげていきました。
秀家の父・直家は「岡山のまちの生みの親」であり、子・秀家は「岡山のまちの基礎をつくった人」なのです。

サル

イケメンなだけじゃなく、仕事もできたんか!くぅぅ〜〜〜、悔しい。

そんな宇喜多秀家と父・直家が岡山城下町を築いていく歴史には、岡山のまちのルーツが隠されており、「もしかしたら岡山県は別の県名になっていたかもしれない」などの面白い裏話も隠れています。

キジ

今回のストーリーでは、直家の戦略的なまちづくりやイケメン武将”宇喜多秀家”が築いた「岡山城下町」ができるまでの歴史を紹介していくよ!

サル

イケメンから学んで、わしもモテるぞぉ〜!!!

このストーリーをもっと見る

田舎の“3つの丘”から始まった「岡山城下町」

岡山城が築かれる前は、どんな場所だったのでしょうか。

岡山城や城下町があるところには「岡山」「石山」「天神山」という3つの丘が連なっていました。

岡山、石山、天神山の3つの丘の様子。
岡山、石山、天神山の3つの丘の様子。

「岡山」は現在の岡山城本丸のある烏城公園、「石山」は石山公園周辺、「天神山」は天神山文化プラザや岡山県立美術館の周辺にあたります。

石山の現在、丸の内ヒルズ周辺
石山の現在、丸の内ヒルズ周辺
天神山の現在、県立美術館周辺
天神山の現在、県立美術館周辺
石山公園(現在公園の一部を3年間、民間事業者に貸し出しオープンカフェをつくるプロジェクトを実施している)
石山公園(現在公園の一部を3年間、民間事業者に貸し出しオープンカフェをつくるプロジェクトを実施している)
キジ

「石山公園」や「石山みち」、「天神町」という地名などは、石山や天神山の名残なんだよ。岡山県立図書館あたりから天神町までを実際に歩いてみると、起伏があって、昔は3つの丘だったことがよくわかるんだ。

イヌ

明日のおさんぽで行ってみるワン!

現在の岡山城の本丸(城のメインとなる部分)は、「岡山」に築かれています。しかし実は、もともと本丸は「石山」に築かれていたのです。ただし記録が残っていないため、誰がいつごろ築いたのかは正確にはわかりません。少なくとも南北朝時代の1300年代中頃には石山に城が築かれていたという記録があります。そして天正元年(1573年)ごろに、宇喜多秀家の父・宇喜多直家(うきた なおいえ)が城主になったのです。 しかし、いつごろから岡山城と呼ばれていたのかはわかりません。残っている文献では、宇喜多直家の時代にはすでに「岡山」の名前が使われていました。

キジ

宇喜多秀家は、お父さんのいた本丸を石山のすぐそばの岡山に変更し、お父さんのいた城を取り込む形にしたんだよ。

サル

城をゼロから建てたんじゃなく、お父さんの家の横に新しい母屋を建て、前の母屋を”離れ”にする感じで築かれたんじゃの〜。

キジ

とはいえ、改築や改修ではなくて新築になるよ。秀家は、岡山城を「近世城郭」という新しい城にしたんだ! 近世城郭とは、多くが天守や高石垣を持ち、大名の力をアピールする城だよ。
ちなみに石山に本丸があった時代「石山の城」などと呼ぶことも。でもこの名前は、岡山に本丸を築いた時代と区別するために便宜的に呼んでいるもの。だから「石山城」という名前の城はなかったんだよ。

父・直家公の”戦略的”な城下町づくり。しかし、事件が…

サル

石山に本丸があった時代には、城下町はなかったんかのぉ〜?

父・直家は石山に本丸があった時代から、城下町の形成に着手しました。城の近くにあった岡山大明神(現 岡山神社)・岡山寺・蓮昌寺・今村宮などを移転させます。さらに西国街道(山陽道)の道筋を、旭川を渡り、城の南を通るルート(現在の県庁通りあたり)に変更。人の流れが生まれる環境を整えていったのです。 ちなみに、岡山大明神は、もともと「岡山」にあり、父・直家は現在の岡山神社が建つ土地を寄進(寄付)して、城の守護神としました。

キジ

さらに、父・直家は城の西側に、”西日本一の商都”として名高い備前福岡(現 瀬戸内市長船町福岡)や、西大寺(現 岡山市東区西大寺地区)から多くの商人を城下町に移住させることで、岡山城下町の経済の基盤を形成していったんだよ。これが現在の岡山のまちのルーツなんだ!

サル

商売が活発になると、人も集まる!経済が潤えば、軍事力も強固に!父・直家は戦略的で賢い人だったんじゃの〜。

イヌ

街が賑やかになっていくのは、嬉しいワン・・・!

キジ

戦国大名は戦のイメージがあるかもしれないけど、本業はあくまで政治!

しかし、城下町整備を進めていた父・直家ですが、天正10年(1582年)に病死(諸説あり)。 子の宇喜多秀家が跡を継ぐことになります。このとき秀家は、まだ10歳に満たない年齢でした。

イヌ

まだ小学生くらいの子が跡を継ぐなんて、心配だワン・・・。

キジ

まだ幼い宇喜多秀家だったけど、イケメンかつ持ち前の愛され力を発揮し、豊臣秀吉の養子となってスピード出世。26歳という若さで「五大老」になったんだ。ちなみに秀家の「秀」の字は、豊臣秀吉が自分の名前から与えたものなんだよ。

サル

ものすごい寵愛ぶりじゃの〜

ここまでやるか!?川の流れを変えてしまう宇喜多秀家公

サル

父・直家から跡を継いだ後、宇喜多秀家はどうやって城下町を発展させたんか気になるわ〜

宇喜多秀家は、約57万石の大名にふさわしい城を築くため、石山にあった本丸を岡山に移し、岡山城のシンボルとなる天守を慶長2年(1597年)に完成させます。

キジ

宇喜多秀家の功績はここからがすごいんだ!岡山城の防御力を強化するために、直家時代の城を取り込む形(石山にあった旧本丸を二之丸の内郭に)で城を拡張して巨大な城郭へと変貌。さらには、旭川の流れを岡山城の東側を取り囲むように大きく変えて防御力を強化していったんだ。

当時の旭川は、平野部でいくつかの流れに分かれていました。秀家はその川筋の中から岡山の東側を取り囲むように流れていた川筋を本流にし、ほかの川筋をせき止めて川の流れを一本化したのです。このとき本流となったものが、現在も残る旭川の流路にあたります。

イヌ

川の流れまで変えちゃうなんて、すごい行動力だワン・・・!

サル

自然の地形を巧みに活用するとは、賢いのぅ!

秀家は、天守の完成と旭川の流路変更だけでなく、城の南(現在の県庁通りあたり)を通っていた西国街道(山陽道)を城下町の中を通るルートへ変更しました。

キジ

父・直家が変更したルートを、再変更したんだ!

城下町の街道ルート
城下町の街道ルート

そして宇喜多秀家も、備前国内から商人を呼び、城下町に移住させます。こうして、城下町の中を通る西国街道を中心とした商業地が誕生しました。この街こそが、現在の表町商店街の原型。表町商店街は安土桃山時代から続く、歴史ある商人街なのです。

安土桃山時代から続く、表町商店街の現在
安土桃山時代から続く、表町商店街の現在
サル

川も道も人の流れも、あらゆる流れを変えて発展に繋げるとはすごいのぉ・・・。

キジ

岡山城下町の作り方は実に戦略的で、当時最先端だったんだ。商人を呼び寄せて城下町で商業を活発に行ってもらえば、地代をたくさんもらえて大名の勢力が強くなる。そして商業を盛んに行うために、街道のルートを変えて物流も強化。商人も大名の保護のもとで安心して商売ができるし、町の人も商業地が活発なら安心して暮らせるからね。

イヌ

大名も商人も町の人もみんな嬉しいワン!

ほかにも秀家は、現在の天瀬に武家屋敷町をつくるなど城下町を拡大・整備して、現在の岡山中心市街地の礎を築き上げました。そして、城下町は岡山城にちなんで「岡山」と呼ばれるようになったのです。

キジ

こうして、「岡山」というまちが誕生したんだ!

サル

もし、城が別の場所にあったら
「岡山県」「岡山市」は別の県名・市名だったんか…!

イヌ

「岡山城下町」に「岡山県」「 岡山市」の由来があったとは驚きだワン!!!

キジ

その後も岡山城下町は、さまざまな城主へ受け継がれて現在の形になっていったんだ。 ちなみに、岡山という名前の由来は諸説あるよ。

慶長6年(1601年)に小早川秀秋公(こばやかわ ひであき)が岡山城主へ

総延長約2.5Kmにも及ぶ外堀の最終工事をわずか20日で行った「廿日堀(はつかぼり)」の完成(現在の柳川筋)。さらに防衛強化のために寺町を形成しました。

慶長8年(1603年)の小早川秀秋公の死後、池田家が岡山藩主へ

池田忠雄(いけだ ただお)が藩主だった元和元年(1615年)〜寛永9年(1632年)には、田町あたりに武家地をつくり城下町を拡大。そして、外堀の西側を流れていた「西川」を整備します。岡山市街に現在も残る西川のことです。

こうして岡山城下町は、ほぼ完成形になりました。その後、池田光政の時代に城下町としての総仕上げが行われ、現在の岡山につながっているのです。

柳川
柳川
西川緑道公園筋
西川緑道公園筋
キジ

いわば宇喜多親子から小早川秀秋、池田忠雄までは「ハード事業」中心の城下町づくり。いっぽう池田光政の時代は「ソフト事業」中心の城下町づくり。ソフト面を充実させたことこそが、光政の功績といえるんだ。だから今でも岡山市民のあいだでは、歴代の岡山藩主の中でとくに池田光政が英雄のように見られているんだよ。 池田光政の功績については「もっと深掘り!歴史秘話」を読んでみてね。

岡山城下町をともにつくり上げた女性たち

岡山城や城下町を築いた宇喜多直家・秀家親子、さらに城下町を発展させた池田光政。彼らとともに、現在の岡山の基盤をともにつくり上げた女性たちがいます。それが彼ら3人の妻たちです。

キジ

はじめに紹介するのは、宇喜多直家の妻・おふく。宇喜多秀家の母でもあるよ! 円融院(えんゆういん)という名前でも知られているんだ。

※おふくに関する資料は少ないため、出自などについて詳しいことはわかりません。

 

宇喜多直家とは再婚で、最初は美作国高田城主(現 真庭市勝山)の三浦氏と結婚しました。しかし戦に敗れて三浦氏は自害。その後、亀山城(沼城)の城主だった直家と出会い、秀家を産んだといわれていますおふくは「岡山城の女城主」と呼ばれたとされ、直家の死後、幼い秀家を支え宇喜多家を盛り立てたという説もあります。

サル

もし本当だったとしたら、宇喜多秀家の活躍は母親のおかげじゃな!

イヌ

秀家はお母さんに頭が上がらないワン!

次に紹介するのは、宇喜多秀家の妻・豪姫(ごうひめ)です。

キジ

豪姫は、江戸時代に「加賀百万石」と呼ばれた加賀藩(金沢藩)の基礎を築いたことで知られる前田利家(まえだ としいえ)の娘だよ。そして豊臣秀吉の養女でもあるんだ!。秀吉は豪姫をとてもかわいがっていたそうだよ。

豊臣秀吉の養子になるなど、秀吉から将来を期待されていた宇喜多秀家。秀吉がかわいがっていた養女で、実力派の武将・前田利家の娘だった豪姫を嫁にもらったことから、秀家は豊臣秀吉にとって、いかに特別な存在だったのかがわかります。

イヌ

秀吉がかわいがっていた者同士の結婚だから、秀吉もうれしかったに違いないワン!

関ヶ原の合戦のあと、宇喜多秀家は八丈島へ島流しになり、豪姫は実家・前田家の治める金沢へ移りました。秀家は八丈島で結婚したり、親しい間柄になった女性がいたという記録がありません。また豪姫も、前田家を通して八丈島の秀家のもとへ仕送りを続けました。前田家の仕送りは幕末まで、代々おこなわれたといいます。

サル

離ればなれになっても、秀家と豪姫の愛の絆は強かったんじゃろうなぁ。

最後に紹介するのは、池田光政の妻・勝姫(かつひめ)です。勝姫は本多忠刻と千姫の娘でした。そして池田光政と結婚し、光政が岡山藩主になったとき、いっしょに岡山へやってきました。

 

その後、岡山は大洪水に襲われましたが、勝姫は母・千姫に支援を申し込みます。そして千姫より、約4万両の援助がありました。現在の金額で約40億円にのぼるといいます。

サル

勝姫が母親に支援をお願いしなかったら、光政は岡山の災害復興はできず、現在の岡山市は今とは違った風景になっていたかもしれんのぅ。

イヌ

勝姫は、岡山を救った影の立役者だワン!

キジ

夫たちとともに岡山城下を築いた女性たちのことも忘れないでね!

歴史ある「岡山城下町」の余韻を感じてみよう。

キジ

岡山城下町ができるまでの歴史を知ってみてどうだった?宇喜多秀家、父・直家や池田家が最先端の城下町へと築きあげていった歴史の跡は今も、岡山市中心市街地に残っているよ。

サル

わしもイケメン武将になりきって観光してみるわ!

イヌ

僕もお供したいワン!!!!

※レキタビのストーリーは一定の調査を行い、大きく史実と乖離するような表現は避けておりますが、あくまで歴史と旅を楽しむための材料としてお楽しみいただけるようなコンテンツを目指して記事作成を行っています。掲載されている記事は諸説あるものもあります。

終わり

モデルコース

このコースの順路

  • 1岡山城内門跡
  • 2岡山城(烏城公園)
  • 3月見橋
  • 4岡山後楽園
  • 5天神山文化プラザ(天神山古跡)
  • 6石山公園
  • 7表町商店街
  • 8表町 千阿弥橋跡・鐘撞堂跡

START

岡山駅

路面電車の場合

東山行き乗車:約5分→「城下(岡山城・岡山後楽園口)」下車後、徒歩:約5分

自転車の場合

岡山市コミュニティサイクル「ももちゃり」岡山駅前ポート利用:約10分

1岡山城内門跡

モデルコース1

1時間

MAP
門の形を保っているものはなく、案内板が立っているのみです。岡山城東門跡と石山城門跡は一部石垣が残っています。 ■主な門跡 1.岡山城内下馬門跡(本丸と二の丸の間にあった門)/2.岡山城外下馬門跡(岡山県立図書館が建っている場所)/3.岡山城大手門跡(案内板あり)/4.岡山城東門跡(石垣が少し残っている)/5.岡山城石山門跡(戦前まで門が残っていたが、戦災により石垣のみ残る)
住所
岡山城周辺
電話番号
営業時間
定休日
料金
駐車場
URL

岡山城外下馬門跡

岡山城大手門跡

岡山城東門跡

岡山城石山門跡

岡山城内下馬門跡

岡山城外下馬門跡

岡山城大手門跡

岡山城東門跡

岡山城石山門跡

徒歩の場合

約9分

自転車の場合

自転車:約3分→「ももちゃり」烏城公園駐車場ポート駐輪後、徒歩:約5分

2岡山城(烏城公園)

モデルコース2

1時間

MAP
黒い外観の天守が特徴的で、別名『烏城(うじょう)』とも呼ばれています。城跡を含む烏城公園は日本の歴史公園100選にも選ばれており、2022年11月3日に天守のリニューアルオープンしました。 1620年頃に建てられて、唯一現存している月見櫓は国の重要文化財にも指定されており、見どころのひとつです。
住所
岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
電話番号
086-225-2096
営業時間
開館/9:00~17:30(入館は17時まで)
定休日
12月29日〜31日
料金
入館料
■大人400円
■小中学生100円
駐車場
烏城公園駐車場
38台(身障者専用/1台)最初の1時間300円、以降30分ごとに100円
URL

https://okayama-castle.jp/guide/

岡山城

スワンボートや桃ボートもあります

岡山城

岡山城と旭川

スワンボートや桃ボートもあります

3月見橋

モデルコース3

10分

MAP
月見橋は岡山城と後楽園を結び旭川に架けられた歩行者、自転車専用の観光橋です。岡山城と後楽園の共通入場券を買われた方が相互に移動するのにとても便利です。穏やかな晴れの日には、旭川に綺麗に映り込む岡山城を見ることができ、フォトスポットとなっています。橋自体も川面に反射すると美しく、少し遠目から橋と岡山城の組み合わせを楽しんでみては。
住所
岡山市北区丸の内(烏城公園内)
電話番号
営業時間
定休日
料金
駐車場
URL

月見橋

月見橋

月見橋

徒歩の場合

約4分

4岡山後楽園

モデルコース4

1時間

MAP
岡山藩主の池田綱政が津田永忠に命じて造らせたもので、日本三名園のひとつとして有名な庭園です。綺麗に整備された芝と、四季折々の草花たちが散策を楽しませてくれます。夜に期間限定で園内をライトアップする『幻想庭園』が開催されており、多くの人に親しまれています。美しい日本の風景が日常に少し疲れた心を癒してくれること間違いなし。
住所
岡山県岡山市北区後楽園1-5
電話番号
086-272-1148
営業時間
■3月20日から9月30日
午前7時30分から午後6時(入園は午後5時45分まで)
■10月1日から3月19日
午前8時から午後5時(入園は午後4時45分まで)
※行事開催により開・閉園時間を変更することがあります。
定休日
年中無休
料金
■個人券
■大人15歳~64歳(中・高校生を除く)/500円
■高校生以下/無料
■シニア/200円
駐車場
■普通車/570台
■大型車(バス等・車高2.5m以上) /12台
URL

公式サイト
https://okayama-korakuen.jp/

インスタ
https://www.instagram.com/okayamakorakuen/

日本三名園 後楽園

日本三名園 後楽園

徒歩の場合

約7分

5天神山文化プラザ(天神山古跡)

モデルコース5

1時間

MAP
天神山文化プラザは県民の身近な芸術文化活動と文化情報発信の拠点です。安土桃山時代、岡山・石山・天神山の3つ山のうち天神山があったところとされています。文化プラザ裏手の天神山古跡は祭祀跡と思われる巨岩がゴロゴロしています。天神山文化プラザは昭和37年6月に開館。モダニズム建築の巨匠・前川國男による建築で、当時のモダンなデザイン手法が随所に見られます。
住所
岡山市北区天神町8-54
電話番号
086-226-5005
営業時間
9:00〜18:00
定休日
月曜日(12月28日~1月4日)
料金
催物により異なります。貸館については、公式HPをご確認ください。
駐車場
24台
URL

■天神山文化プラザ
https://tenplaza.info/
■岡山観光WEB
https://www.okayama-kanko.jp/spot/10214

天神山文化プラザ

外観

内観

常設オブジェ

天神山文化プラザ

外観

内観

常設オブジェ

徒歩の場合

約6分

6石山公園

モデルコース6

1時間

MAP
その昔、岡山城の前身とされる『石山城』があった場所にある公園。旭川と岡山城を楽しめる自然豊かな場所で、市民の憩いの場となっています。地域のオープンスペースとして、大小様々なイベントが開催されています。期間限定でカフェもオープンしており、観光ついでに散策するのにぴったりの場所です。現在はホットサンド店「PUBLIC SAND」が出店しています。
住所
岡山県岡山市北区石関町7
電話番号
086-803-1395(岡山市庭園都市推進課)
営業時間
常時解放
定休日
無休
料金
無料
駐車場
烏城公園のものを利用
URL

石山公園

石山公園

石山公園

石山公園

徒歩の場合

約4分

7表町商店街

モデルコース7

2時間

MAP
表町商店街は、宇喜多秀家が変更した西国街道沿いに商人を住まわせたことが起源といわれています。以来、現在まで岡山を代表する繁華街として栄えています。現在の商店街の通りも、秀家が変更した西国街道のままです。時代の変化や戦災などで昔の面影はありませんが、昔と同じ道沿いに現在も店が軒を連ねています。
住所
岡山県岡山市北区表町1丁目〜3丁目
電話番号
営業時間
定休日
料金
駐車場
連携駐車場あり
URL

http://omotecho.or.jp/

表町商店街

時計台

表町商店街

時計台

8表町 千阿弥橋跡・鐘撞堂跡

モデルコース8

10分

MAP
表町は宇喜多秀家が岡山城下を整備した際、西国街道のルートを岡山城下を通るように変更し、その街道周辺に町人を住まわせた町です。表町とは「表玄関の町」という意味で、繁華街を意味します。表町にある世阿弥橋は、岡山城下から各地に延びる街道の起点だったと言われています。
住所
岡山県岡山市北区表町2-6-33
電話番号
営業時間
定休日
料金
駐車場
URL

http://omotecho.or.jp/

千阿弥橋跡・鐘撞堂跡

千阿弥橋跡・鐘撞堂跡

千阿弥橋跡・鐘撞堂跡

千阿弥橋跡・鐘撞堂跡

徒歩の場合

約23分

路面電車の場合

徒歩:約3分→「東山線西大寺町駅」岡山駅行き乗車:約11分

岡山駅

GOAL

周辺おすすめスポット

  • 周辺スポット1

    20分

    MAP

    旧岡山藩藩学

    池田光政が設立した学校の跡地です。旧岡山藩藩学は、藩士の子供たちのために作られた学校でした。他藩に比べて作られた時期が早く、また充実した施設であり、教育県岡山の下地となりました。現在は、その土地の多くは道路や住宅地になり、また現代の中学校の運動場になっています。運動場のすぐ隣に、泮池とそこに架かる橋が当時の姿を残しています。

    住所
    岡山県岡山市北区蕃山町6
    電話番号
    営業時間
    定休日
    料金
    無料
    駐車場
    URL

  • 周辺スポット2

    30分

    MAP

    砥石城跡

    砥石山山頂にあった山城の跡地です。 戦国時代に宇喜多氏の居城となっており、岡山城を築いた宇喜多直家はこの城で生まれたとされています。 夜襲を受けて祖父の能家が自害した後は、父・興家とともにこの城を出て放浪生活を送ることになりました。 現在は本丸跡を含めた遺構が残っています。登山道が整備されているため、城跡を間近で見ることができます。

    住所
    岡山県瀬戸内市邑久町豊原729-1(登山口)
    電話番号
    0869-22-3953
    (瀬戸内市役所文化観光課)
    営業時間
    定休日
    料金
    無料
    駐車場
    URL

    https://www.city.setouchi.lg.jp/soshiki/23/3525.html

  • 周辺スポット3

    30分

    MAP

    林原美術館(岡山城 対面所跡)

    岡山城二の丸屋敷の対面所跡地にある美術館です。故・林原一郎氏の日本・東アジアを中心とした多岐にわたる蒐集品と、旧岡山藩主池田家から引き継いだコレクションを主として収蔵・展示を行っています。 かつて大名などと面談を行った場所で、岡山城天守閣ともほど近く、内堀の畔の閑静な空間で、絵画や武具、刀剣などの歴史的な名品を鑑賞できます。

    住所
    岡山県岡山市北区丸の内2丁目7−15
    電話番号
    086-223-1733
    営業時間
    10:00〜17:00(入館は16:30まで)
    定休日
    ■毎週月曜日(祝日等休日の場合は翌日)
    ■展示替期間(不定期)
    ■年末年始
    料金
    ■一般/500円
    ■高校生/300円
    ■小・中学生・友の会会員・障害者手帳を提示の方・付添者・引率者/無料
    ■団体(20名以上)・シルバーカード(65歳以上を証明できるもの)・岡山県郷土文化財団会員証をお持ちの方/2割引
    ※(特別展の場合は別途定めます。)
    駐車場
    7台
    URL

    https://www.hayashibara-museumofart.jp/

  • 周辺スポット4

    10分

    MAP

    惣門跡

    惣門は総門とも表記し、城の外郭の正門を指します。かつてここに、岡山城の惣門がありました。岡山城築城の際、宇喜多直家が、それまで岡山市北部を通っていた山陽道を南へ引き込み、森下町に惣門を置きました。その結果、森下町は、城下町の東側の出入り口として非常に繁栄することになりました。現在、門があったところには案内板が立っています。

    住所
    岡山県岡山市中区森下町2−23
    電話番号
    営業時間
    定休日
    料金
    駐車場
    URL

  • 周辺スポット5

    1時間

    MAP

    岡山県立博物館

    岡山城のすぐ近くにある博物館です。古代から近現代まで、岡山にまつわる様々な文化財や資料のコレクションがあります。刀剣や甲冑、宇喜多能家や宇喜多忠家の肖像画、書状など、貴重な歴史資料を数多く収蔵しています。 博物館のすぐ向かいには日本三名園として知られる後楽園があり、共通チケットで両方鑑賞することもできますよ。

    住所
    岡山県岡山市北区後楽園1-5
    電話番号
    086-272-1149
    営業時間
    ■夏季(4月~9月)/9:00~18:00
    ■冬季(10月~3月)/ 9:30~ 17:00
    ※現在休館中
    定休日
    月曜日
    (月曜日が祝日の場合はその翌日が休館となります。年末年始、展示替えの休館があります。)
    ※現在休館中
    料金
    ■一般(個人)/250円
    ■65歳以上/120円
    ■一般(団体30名以上)/200円
    ■65歳以上( 団体30名以上)/100円
    ■高校生以下の方/無料
    ※現在休館中
    駐車場
    ■普通車/570台
    ■大型車/12台
    岡山後楽園の駐車場と共用
    URL

    https://www.pref.okayama.jp/site/kenhaku/

インスタ映えスポット

  • インスタ映え1

    1時間

    MAP

    フルーツパフェのお店

    「晴れの国」岡山は、特産品として様々なフルーツを作っています。「フルーツパフェの街おかやま」では、一年を通して、岡山県産のフルーツを使用したパフェを楽しめます。

    住所
    岡山市周辺
    電話番号
    営業時間
    定休日
    料金
    駐車場
    URL

    フルーツパフェの街 おかやま
    https://okayama-parfait.com/

  • インスタ映え2

    1時間

    MAP

    おかやまカレーのお店

    岡山といえば、名産品「桃」と、「桃太郎」。桃を使ったチャツネを隠し味にした「岡山カレー」が誕生しました。ぜひ岡山市内の参画店舗で食べ比べてみてください。

    住所
    岡山市周辺
    電話番号
    営業時間
    定休日
    料金
    駐車場
    URL

    岡山カレー
    https://www.okayama-kanko.jp/okayamacurry/

  • インスタ映え3

    15分

    MAP

    大手饅頭伊部屋 京橋本店

    製造は別の工場となっております。工場から来たものをすぐに販売しているため、温かい商品となります。マスキングテープやエコバッグなどのグッズも購入できますよ。

    住所
    岡山県岡山市北区京橋町8-2
    電話番号
    086-225-3836
    営業時間
    9:00〜18:00
    定休日
    火曜日
    料金
    駐車場
    店舗隣りに有り
    URL

    https://www.ohtemanjyu.co.jp/

  • インスタ映え4

    20分

    MAP

    妙興寺

    妙興寺には、宇喜多興家や、後に戦国大名となった黒田官兵衛の曽祖父・祖父のものと伝えられる墓所があります。境内には樹齢300年を超える二本の大イチョウがあり、秋になると美しく色づきます。

    住所
    岡山県瀬戸内市長船町福岡684
    電話番号
    0869-26-2024
    営業時間
    定休日
    料金
    無料
    駐車場
    普通車15台/バス2台
    URL

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